以下の文章にはネタバレを含みます。

これは私達向けの映画ではありません。

『私達』というのはこのブログを度々訪れていただいているあなたのような人が属しているはずの、いわゆるモータースポーツファンのことです。
コアなファンである我々をニヤリとさせる描写があるかどうかと探すような見方では、この映画はあまり楽しめないと思います。

 

そもそも考えてみてください。
メインキャラクターの兄弟ふたりの役どころがなぜ『ドライバーとコドライバー』ではなく、『ドライバーとメカニック』なのか。
もし私が「ふたりの兄弟をメインキャラクターに据えたラリー映画を撮ります」と言われた脚本家だったとしたら、絶対にふたりの役はドライバーとコドライバーにします。
なぜなら、ラリーは競技をするのがドライバーとコドライバーふたりなので、ストーリーで中心となる選手ふたりにメインキャラクターふたり、ぴったり当てはめることができるからです。

 

しかしそう考えるのは『コドライバー』というものについて既に私の中に了解ができあがっているからに過ぎません。『コドライバー』と言われてもピンとこない人のほうが世間では圧倒的に多いということを私達は忘れがちです。
そしておそらくこの映画はそういった人たちに向けて作られています。

 

「この映画の狙いは何か?」ということについて考えてみましょう。

 

トヨタの撮影協力やWRCからの映像提供があり、また日本でのWRC開催が噂されている……そうしたことから考えると、狙いはまず間違いなく「来たるラリージャパンに向けてラリーに興味がある人を増やす」ということでしょう。
決して「(もう既に興味を持っている)ラリーファンを喜ばせる」ことではなく。

 

そのためにはどういう映画にするべきか?
有名監督に有名俳優を起用し、それぞれのファンにアピール。一方でラリー要素もおろそかにはできない。
そうした映画を作ったとすると、想定される観客は「監督が撮った映画・俳優の出ている映画を見に来ている人」と「ラリー映画を見に来た人」の二種類に分類できるでしょう。
さてどちらを優先するかとなったときに先の『狙い』に立ち返ると、答えは自ずと見えてきます。
というわけで、「これは私達向けの映画ではない」と私は言い切ってしまいます。
この映画はラリーという競技の魅力そのものを描こうとしたのではなく、ラリーに興味を持ってもらうために作られた映画です。
メインは人間ドラマであり、ラリーといった題材はそれを彩る舞台装置に過ぎません。
ドラマや俳優を見に来たのに興味ない話を延々と聞きたくはないでしょうから、ラリーについての説明は最低限に。
ディープな部分はばっさりカットして、上澄みの部分に濃いめの味付けを施してエンタメ作品として仕上げました――

 

そういった印象を私は受けました。
意地悪な言い方をすれば「すごくお金のかかったストーリー仕立てのラリーPR映像」とも言えるでしょう。
モータースポーツファンにとって少々物足りないのもむべなるかな。
そんなわけで、エンターテイメント方向に舵を切った結果、この映画においてリアリティは大きく犠牲になっています。
しょっちゅう暴力事件を引き起こし、スポンサーへの対応はおざなりで、チームスタッフへのリスペクトもない。そんなドライバーが現実にいるはずありません。よしんばいたとしてもすぐいなくなるでしょう。
5分のペナルティを貰っているのに最終日に逆転優勝? ライバルチームたちはいったい何をしていたんでしょう。
なにより、舞台となる選手権であるSCRS(セイコーカップラリーシリーズ)の設定からしてもう夢物語です。日本をメインに数か国で海外ラウンドというスケジュールはスーパーGT的な規模の選手権を想像すればいいのでしょうが、日本にそこまでの規模を誇るラリー選手権が誕生するとは現状では到底思えません。
しかし、これらは私がモータースポーツに対して知識を持っているからこそ覚える違和感です。
この映画のメインターゲットとなる層はこれらを「大げさだなあ」と感じることはあっても「ありえない!」と思うまではいかないのかもしれません。
ならばそれでエンターテイメント作品としてオーバードライブはよくまとまっている、という結論に達してしまっていいのか、というとそうでもありません。
どういうことかと言うと、いくらモータースポーツの知識が無い人でも「ありえない!」と思うシーンがあるのです。

 

映画終盤、主人公である檜山直純駆るヤリスはハイペースで走行中、コース上にストップしていた前走者のマシンに気付くのが遅れ衝突してしまいます。
コントロールを失ったヤリスはコースを外れ、ガードレールを突き破りそばにあった池に転落し水没。
クルーは無事だったものの、車は完全に壊れ、リタイヤしなければならない状況なのは明らか……という状況で、なんとチームは修理を選択。
夜を徹した懸命な作業の結果、タイムオーバーはしたもののラリーに復帰できたのでした……。

 

ありえない! 水没した車を引き上げて、次の日の競技開始までというわずかな時間で走れる状態にまで修復する? いくらフィクションでも限度というものがあるでしょう……。

 

 

この映画のうまいところは、荒唐無稽なファンタジーの山の中にひとつだけ真実を混ぜたところです。それも、クライマックスにもっとも「ありえない!」と思わせる形で。

 

2015年WRCラリー・メキシコ。SS3を走行中にタナク/ヤルヴェオヤ組のフォード・フィエスタWRCは姿勢を崩しコース脇の池に転落、車は完全に水没。
しかしチームはその水没した車を引き揚げ修理することを決断し、それをやり遂げるのです。
かかった時間はたったの2時間40分。劇中ではサービスタイムをオーバーしペナルティを課せられましたが、そのモデルとなった実際の出来事は修理が許されるタイムリミットである3時間に20分の余裕を残しての作業終了です。
現実のラリーには、檜山直純のようなドライバーはいません。
現実のラリーでは、デイ3開始時に5分ペナルティを課された時点で優勝の目はまずありません。
現実のラリーには、少なくとも日本においては、劇中のような盛り上がりはありません。

 

しかし、現実のラリーには、水没した車を3時間かからずに修理してしまえる人達がいます。

 

現実のラリーには9年連続で世界一に輝いた人がいます。
現実のラリーには3速だけでSS最速タイムを記録した人がいます。
現実のラリーにはあと500m走ればチャンピオンというところで涙を飲んだ人が……この話はやめておきましょう。

 

みなさんご存知の通り、現実のラリーには映画を始めとするフィクションに負けず劣らずの「ありえない!」がたくさんあります。
少なくとも水没した車を修理するという出来事においては完全に事実がフィクションを凌駕しています。
もしこのことに「オーバードライブで初めてラリーというものに触れた」という人が気付いたとしたら、その衝撃はどれほどのものでしょうか。フィクションでしかないと思っていたことよりもすごいことが現実に起こっていたと知ったら。
おそらくは驚くことでしょう。それもかなり。その驚き、衝撃によってこの映画がもたらしたラリーへの興味がさらに深まる……というのは決して飛躍した話でもないと思います。
ともするとオーバードライブという映画は「ラリーに関心のある人」を作り出すだけでなく、さらにその人を「ラリーファン」にまで変えることができる映画かもしれません。
オーバードライブという映画は間違いなくよくできた映画です。ただ私達向けでないだけです。

 

以下は余談です。

 

誤解をしないでいただきたいのですが、私達向けでないからといってつまらないわけではありません。
実車の走行シーンは文句なしに迫力抜群です。日本のラリーとされる映像でもあきらかに日本の道じゃないことがあるのはご愛敬。
CGも「少し動きがおかしいかな」と感じるところはありましたが、おおむね良好です。
身も蓋もない言い方ですがお金かけてるだけはあります。
映画は全体的に良かったとは思いますが、吉田鋼太郎さん演じるラリーチーム監督の都築一星というキャラクターだけは一切擁護できません。
平成も終わるというこの時代にひとりだけ昭和のノリでセクハラするキャラクターを、誰もおかしいと思わなかったんでしょうか。